2018.07.18

飲食店開業支援

海外の飲食で働くということ Vol.1
シンガポール田邉浩太さん 前編

5年前に移住を決断し、競争の激しいシンガポールの居酒屋市場で2店舗の繁盛店を育て上げた田邉浩太さんにインタビューしてきました。

インタビュー後編

GRAND KING PTE LTD 田邉浩太さん

27歳で英語もしゃべれず単身シンガポールへ。1年もてばいい方と賛否両論の中、繁盛店への活路を開いた方法とは。

西坪 僕も初めてのシンガポールでとてもワクワクしています、宜しくお願いします。
それでは現在のお店の状況からお聞きしたいと思います。

田邉 ボートキーにある「三代目尊」が5周年、そしてクラークキーの焼鳥専門店「八咫烏」が1周年になります。シンガポールの飲食は非常に競争が激しく、「三代目尊」も5年前から残っているテナントはうちだけになってしまいました。おかげさまで2店舗共に週末は予約なしでは入れないお店になりました。

どちらもコンセプトは、ちゃんとした手作りの料理を安く、美味しく安心して食べられる店。普段使いの価格帯をブラさずに、お客様とスタッフの距離が近く、いつ行っても知り合いが飲んでいるような気さくなコミュニケーションが取れる場所になっています。

西坪 立ち上げで一番大変だったことは?

田邉 ありがたいことに予算以外はほとんど丸投げだったので、笑。
当時シンガポールにあまりなかった「日替わりをメインにしたカジュアル使いの和食」という業態のコンセプトを日本で決めていきました。

七味唐辛子が売ってなくて乾燥の鷹の爪1㎏が届いた事もありました。
日本のようにちゃんと届くのが当たり前と思っていたので、酒屋や仕入先に対してもミスがあるとキツくクレームを言ってしまいケンカになったことも。業者さんから総スカンをされそうになった時期もありました。

日替わりがメインの業態で仕入ができなくなるのは致命的です。小さいエリアなので噂はすぐひろまってしまう。これをキッカケにその国のリズムを尊重し、店舗も業者も対等なパートナーなんだと認識できるようになりました。

西坪 英語がしゃべれないことでコミュニケーションなど問題はなかったですか?

田邉 やはりスタッフとのコミュニケーションは困りました、英語を勉強しておけばよかったなと思います。でもローカルスタッフに対してが英語がしゃべれないことで、小言や日本人の価値観を押し付ける事がなかった、というか伝えられなかった、笑。のが逆に良かったです。

シンガポールは10分、20分は遅刻にカウントされない寛容な国なので、笑。僕らの感覚でダメ出しを続けると誰も働いてくれなくなります。逆に言うと遅刻しないだけでも評価される。

西坪 オープンしてすんなり繁盛できたんですか?

田邉 まったく、笑。ようやく黒字になったのが半年後でした。
それまでは試行錯誤の連続で、自分もあせってツンケンして周りのスタッフに当たっていたのでチームの雰囲気は最悪でした。

西坪 賛否両論はあったんでしょうか?

田邉 オープン当初はこんなメニュー、コンセプトはシンガポールじゃ流行らない、と同業から陰で言われていました、もって一年だなと。

でも自分の中には料理に対する根拠のない自信があり、絶対にブラしませんでした。立ち上げ期間で赤字が続く状況でしたが社長達もあまり口を挟まずに応援してくれました。少しづつローカルのお客様が増えていった事も大きな支えでした。

西坪 転機となったキッカケは?

田邉 坊主にしたことです。笑
それは冗談ですが煮詰まったときに、自分を見つめなおす時は坊主頭にして考えるんです。そこで出した答えは二つでした。

一つ目は、フリーペーパーによる販促を辞めたこと。もともと自分が販促が嫌いだったし、そのコストは料理にかけたかった。ちゃんと続けていけばいずれ口コミで広がっていくと思ってたので。

二つ目は、2年目でビール等のドリンクの値上げをしたこと。最初はドリンクの安さを打ち出して集客してましたけど、常連さんからも安さといった価格よりも、お店の価値を認めてもらえるようになってきたタイミングで常連さんとお店の雰囲気を保つために値上げしました。

赤字が続く困難な状態の中、基本に立ち戻って価格よりも価値を追求する事で繁盛店への活路が開いたという田邉さん、インタビュー後編は海外移住を決断した理由、これからのこと、などを伺いました。