2018.12.27
京橋白木の取り組み
《益子焼》株式会社 つかもと|つくりてを訪ねて Vol.5
益子焼という伝統工芸品に携わるつくり手として、「磨きをかける」ということを大切に考える。
益子焼の可能性を求め、様々なコラボレーションにも積極的に携わる「株式会社つかもと」営業部の関 教寿さんにお話を伺いました。
可能性を求め、日々知恵を絞る
ー展示されている商品を拝見して、ドラえもんと益子焼のコラボレーション商品がとてもユニークだと感じました。このような企画はどのようにして始まったのでしょうか。
関 伝統工芸品とコラボレーションしていく「I am Draemon」という企画の話があり、スタートしました。
私たちは伝統工芸の益子焼で参加するということで、ライセンス契約のうえで、コラボレーションの商品化に至りました。
ーそのようなコレボレーションといった取り組みは創業時からあったのでしょうか。
関 いえ、以前は飲食店向けの製造一本でした。主に製造ラインで、とんかつや居酒屋といった専門業界向けの業務用食器をつくっていたので、景気の良かった時はお客様もどんどんとチェーン展開していきました。
しかし時代の流れと共に、最近は家庭用の食器、いわゆるセレクトショップやライフスタイルショップ向けの需要が伸びてきています。業務用向けの製造ラインのサイズを変えながら、今に至っています。
現在は、大きな2つの柱として弊社のオリジナル商品とライフスタイルショップへのOEM生産があります。
私たちの商品がお店にならんでいるのは、食器のコーナーではなく、美容のコーナーに並ぶお香の台ということもあるんです。
こういった飲食以外のアパレルやセレクトショップなどの企業とタッグを組んで、益子焼ならではの商品開発をしていくために、私たちも日々知恵を絞っています。
ーなぜ益子で家庭用の食器のニーズが増えていったのでしょうか。
関 今までノベルティとしては、益子ではつくっていない磁器製品の採用率が高かったんですが、「オリジナリティを出したい、差別化したい」という流れになってきて。
そこで、陶器の土味を活かした益子焼が「同じテーブルウェアで落とし込んでも風合いを変えられる」と、バイヤーさんやライセンスを保有している方からお話をいただくことが増えてきたというのが一因だと思います。
ー外部の陶芸志願者を受け入れる「研究生制度」があるとお聞きしたのですが。
関 昭和の初期、益子の陶芸家を増やし、益子焼を普及させるためにも、当社では陶芸家の後押しをしていました。
陶芸家を志す人に向けて、日中は仕事をしてもらって、就業後は材料や設備を自由につかって経験を積み、一定の期間を勤めあげたら独立するという制度でした。今も活躍している上位クラスの作家さんには、もともと当社の研究生制度を利用して学んだ方がいます。
でも実は、私が入社する平成の初めに終わってしまったんです。
ーそんな素敵な制度がなぜ終わってしまったんでしょうか。
制度が終わってしまったのは、時代の流れとして当然だったのかもしれません。
話を聞く分には素晴らしく聞こえますが、要は子弟制度ですので、修行中はお小遣い程度しかもらえません。ですので、今の時代ですとなかなか受け入れられないですよね。
今でいう専門学校のような存在で、益子焼の職人を育て、益子のつくり手を増やしていくのが目的だったんですが、私が入社する時には、益子にも充分につくり手が増えていたのでその役目は終わったと聞いています。
現在では、ちゃんと入社して、正規雇用の上で同じような学びの場を提供しています。
ーその研究生制度の第2期生で、天才陶芸家と呼ばれる加守田章二さんがいらっしゃいましたが、加守田さんのどういったところが「天才」と呼ばれた所以なのでしょうか。
関 残念ながら、加守田さんは40代で亡くなってしまったので、私もお会いしたことはありません。
当時はアートというものが、生活の中に溶け込んでいなかった時代だと思うんですね。普通に使えるお皿やお椀が重視されていて、絵柄も特に必要とされない。「使えてなんぼ」の時代でした。
幾何学的な柄や奇抜な形、いわゆる前衛的なものは、我々庶民の生活の中にはまだまだ入りこんでなく、それは芸術家の領域でした。
でも、陶芸の世界の中にも、前衛的な感覚が入ってくるようになりました。そのきっかけをつくったパイオニアの一人が加守田章二さんなんです。
ーみんなが道具しかつくっていない時代に、アートをつくっちゃったということでしょうか。
関 はい、おそらく当時は変人扱いされたんじゃないかと。
それほどまでに、時代が加守田章二に追い付いていけなかったんだと思っています。
ー関さんご自身のことを伺ってもよろしいですか。「つかもと」では広報から営業職、陶芸教室の先生とマルチな活躍をされていますよね。
関 勤続24年になります。高校を卒業してから株式会社つかもとに入社しました。もともとは、学生の時にデザインや美術を学んでいて、地元の益子の焼物の世界で表現したかったんです。
今は工芸品の世界にもデザインという言葉は根付いていますが、当時の陶芸は技術と感覚の中から生まれてくるものでした。
入社してしばらくは作家を目指して職人の仕事もしていたので、職人の言う専門的な言葉と感覚も充分に理解していますし、デザイナーの言う専門的な言葉も学んでいるので、私が職人とデザイナーの間に入って、いわば「通訳」をしながら商品化していくということもやったことがあります。
ー今までで特に印象に残ったお仕事はありますか?
私が企画広報の担当をしていた時に、キュレーターとして星野リゾートさんで初めての新築の「界鬼怒川プロジェクト」に参加させていただき、そこで益子焼の文化をお伝えできたことは、印象深い仕事でした。
ー伝統工芸と伝統を継いでいくことに対するプレッシャーは感じますか。
関 よく伝統工芸品に携わる人たちの声として「伝統を守ってきました、伝統を守っています」という言葉を聞くことがあります。でも、伝統を守るだけではなく、磨きをかけることが大事なのではないかと思っています。
そもそも伝統工芸品にニーズがなければ、伝統を守ろうと思っても守ることはできません。
ですので、時代の流れに合わせて、磨きをかけていくことが大切です。
丸から四角へ、四角から三角へと変わったり、大きくなったり、小さくなったりという試行錯誤をすることが、結果的に伝統として残っていくのではないでしょうか。
私たちは伝統工芸品に携わるつくり手としてこの「磨きをかける」ということを大切に考えています。
ー株式会社つかもとのこれからの展望をお聞かせください。
関 ものづくりは美術とデザインの2つに大きくは分けられると思うんです。
美術とは、作家の感情の自己表現でつくっている作品。誰かのためにつくったわけではないけども、共感を呼ぶことができるもの。でも、デザインというのは、相手がいて初めて成立するものづくりなんです。
例えば「おいしい朝食のためのお皿」といった課題に対して、食事のシーンがワクワクするような企画を実現させる・・・ものづくりで問題解決することができるのが、デザインの力なんだと思います。
私たちはデザインの視点を大事に、伝統工芸である益子焼と向き合っています。
まだまだバリエーションが少ないので、その時の時流に合わせて、少しずつ商品ラインナップは増えていくと思います。
ー最後にものづくりを志す人々へメッセージをお願いします。
関 表向きは大変だよ、と(笑)
ものづくりは、ただモノだけをつくっているのではない、モノだけでなく「コトづくり」をしているんだという風に考えてもらえると面白いと思います。
学校で学んだことを活かして生業にするわけではないので、普通の一般職のような仕事とは異なり、大変かもしれません。勉強以外の余分なモノ、引き出しをたくさん持っていることが大事だと思います。
信念を持っていれば、伝統的な世界でもやっていけるのではないかと思います。
ー今日は製造工程の見学から取材までありがとうございました。
関 こちらこそ、ありがとうございました。