2018.07.27
飲食店開業支援
海外の飲食で働くということ Vol.2
シンガポール田邉浩太さん 後編
27歳で単身シンガポールへ。英語もしゃべれない、海外は旅行程度、立ち上げ経験もない、第一子の出産間近、そんな状況でも目の前のチャンスに飛びのったコータさん。
1号店三代目尊、2号店の八咫烏〈やたがらす〉共に繁盛店に。
27歳で単身シンガポールへ。英語もしゃべれない、海外は旅行程度、立ち上げ経験もない、第一子の出産間近、そんな状況でも目の前のチャンスに飛びのった。
西坪 コータさんが飲食に入ったキッカケとは?
田邉 飲食に入ったキッカケは、包丁も使えなかったけど手に職をつけたいのと料理が好きだったことから高校の3年間で居酒屋でバイトをしたことです。高校卒業と共にそのまま外食チェーン店に入社した後に楽コーポレーション出身の方がオーナーの居酒屋で働きました。
そこで飲食という仕事は自分にとって「生きるための武器」になるんじゃないかと考えました。
西坪 どういった経緯でシンガポールの話がきたんですか?
田邉 カウンターで料理をしながら常連さんと話せる店でした。そこで仲良くなった常連さん達に「いつか海外でチャレンジしたい」と話していたんです。その常連さんの中に、たまたま今の社長がいて今度シンガポールで出店するからやってみる?と声を掛けてもらったんです。
西坪 周りの、家族の反応はどうでしたか?
田邉 反対の声がほとんどでした、英語もしゃべれないのに、なにより結婚したばかりで子供が産まれるんだからと色々言われました。
もちろん家族とは良く話し合いました、もしこのチャンスを逃したことを、心のどこかで家族のせいにして生きていく事になるのだけは嫌でした。当時は5年もいる事になるとは思わなかったので、とにかく、とりあえず1人で行ってみようと決断しました。
英語がしゃべれなくても、食材は見ればわかるし、料理なんて身振り手振りだしと。笑
家族も最後は応援してくれました。
西坪 こちらでの苦労はどんなことがありましたか?
田邉 あまり考えた事がありませんが、周りの方で上手く馴染めない人を見ると、自分達の、日本人の価値観だけで仕事をしているように思います。やはりシンガポールから見たら僕らは移民だし、異国で仕事をさせてもらってる訳なので。
良かったところは、日本のように手段が目的化している事を当たり前と思わないシンガポーリアンの考え方です。日本だと定時に来てスケジュール通りにやる事が目的になってしまう、でもそれは手段ですよね。そうではなく目的はお店の繁盛なのだから、忙しさに合わせて柔軟に時間を使えばいいんです。
この子もそうですよ「おーいSherちゃーん、ちょっとインタビュー」
スタッフのSherさん(19歳)
西坪 ここ(尊)で働くことを選んだ理由は?
Sher 時給が高いから、笑。あとは前職も飲食で団体向けの居酒屋だったけど、尊はお客さんとたくさんコミュニケーションが取れて楽しいから。日本語は日本のドラマが好きなので独学で覚えました。
桑原 こちらでは経験のあるなし関係なく「こうしたほうがいいんじゃない?」とちゃんと自分の意見を言ってくれます。とても自立心が強いんですよね。
西坪 最後に海外の飲食で働きたいヒトへメッセージをお願いします。
田邉 チャンスがあったら思い切って飛び込んじゃえばいいと思います。
日本の飲食で頑張っていけるなら海外でも充分に通用する。シンガポールにきて色々と考え方が変わったし、改めて日本の良さや足りないところを学びました。楽しむことが一番大事だし、人生は一度切り!です。
コータさんがチャンスと縁を掴み今に至る事ができたのは3つのポイントだったと感じます。
⒈普段から自分のやりたいを発信していた。
⒉いつチャンスが来てもいいように「今」の仕事を全力で頑張っていた。
⒊自分の責任で人生の決断をした。
立ち上げから5年間現場を引っ張て来たコータさん、これからはお店を後任の桑原さんをはじめとするチームへと引き継ぎ、シンガポールで得た経験と商品開発力を武器に日本での店舗展開にチャンレジしていくとのことです。そして「いつかはヨーロッパやアメリカで勝負してみたい」と大きな夢も、こういった発信が次の未来へとつながっていくのだと実感しました。
そんなコータさんを送り出し、また迎え入れる株式会社エレキングはこちら。
今後の活躍と展開が楽しみです。