2019.06.10
ミツカル事業
絶やしちゃダメだ!日本の発酵食を支える《木桶(きおけ)》のはなし
2009年に新調した戦後初の『新桶』 ©ヤマロク醤油
醤油、味噌、日本酒・・・日本人の暮らしの知恵と経験から育まれてきた発酵食。古くからの食文化、微生物の世界は、現代になってもまだ解明されていないこともあります。
機械化が進み、大量生産される中では生み出せないもの。
自然とともにあり、私たちの健康にも寄与してくれるおいしい発酵食ですが、それを生み出す「木桶」はとても大事なアイテムです。でも、その木桶をつくる職人が年々減少。私たちの発酵食文化も危機に晒されているのです。
そんな状況を目の当たりにし、2011年秋に香川県・小豆島でスタートしたのが「木桶職人復活プロジェクト」。
日本酒の人気銘柄「新政」も、秋田杉を使った木桶仕込みの酒づくりを始めるなど、この「木桶職人復活プロジェクト」が生み出した輪が、全国にも広がっています。
はじまりは、小豆島。
瀬戸内海に浮かぶ小豆島。小説『二十四の瞳』の舞台として、また最近はアートの島としても知られています。
江戸時代は幕府の天領地として塩づくりが栄えた小豆島ですが、その後、塩を使った二次加工品としての醤油づくりが本格化します。伝統的な醤油を今も作り続け、「木桶職人復活プロジェクト」を立ち上げたのが「ヤマロク醤油」5代目の山本康夫さんです。
木桶仕込みでなければ。
木桶は、醤油を仕込む時に用いる容器ですが、現在はステンレスやコンクリートなどのタンクが使われることが多くなっています。
昔ながらの木桶で仕込んだ醤油は、全体のわずか1%。「木桶」はかつては日本酒の仕込みに使われたものが、醤油蔵や味噌蔵で再利用されていたそうなのですが、先に木桶を使った日本酒づくりが激減してしまいました。
「風が吹けば桶屋が儲かる」の逆!? 木桶の需要が減り、それに伴い桶屋の仕事が減り、木桶づくりは衰退・・・。
そこで、自ら桶屋に修行に行き、山本さんは「木桶職人復活プロジェクト」を立ち上げました。
全国の醤油や味噌、日本酒の蔵から志を同じくする仲間が小豆島に集うようになっていったのだそうです。
「子や孫、ひ孫の時代まで、木桶仕込みの本物の発酵調味料を残したいから。」
挑戦を続ける山本さんの熱い思いが、周りの人を巻き込み、同志をつくり出していきます。そして、木桶づくりは、技術の継承だけでなく、材料となる木材(吉野杉など)や道具をいかに確保し、守っていくかということにもつながります。
小豆島から生まれた「木桶職人復活プロジェクト」が、日本の食文化を救う。食を提供する人も、食べる人も、このプロジェクトを知ることからはじめてみませんか?
(by さすらいの食人S)
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